「私+あなた」=「アルコール依存症」

2017年1月6日 お酒に卒業宣言!の私+はてしないアルコール依存中の夫

断酒・・・621日。心配は「心を配る」悪い事じゃないけれど「不安」は?不安だらけ

このまま、少しくらい
穏やかな生活が出来ると思っていた
早すぎる・・・
関東の自動車工場の期間工を始めた息子
どうやら
リタイヤが近い気がする
あんな息子だけれど
我慢が足りないとか そういった事ではない
腱鞘炎 恐らく致命的です

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振り返れば
高校生のアルバイト
中古車屋さんで働いた時も
かなり酷く痛めていた
ナットを締め続けたり
車を磨く為のグラインダーを使い続けたり
それが身体にとって過度だと
炎症が始まり握力は無くなり
日常生活さえ支障が出てくる
10代だったあの頃も
口には出さなかったけれど
かなり心配して見ていた
こんなアルバイトで一生を台無しにしやしないかと。
丁度良い時期に、そこは経営が悪化して
アルバイトを解雇したので
息子の腱鞘炎(その時は受診もしてはいない)は
快方へ向かい、忘れていた

その後の
去年から今年にかけて働いた自動車屋
そんな作業も有ったけれど
数日程度で日常的にではなかったので
腱鞘炎で困る事はなかった

今 自動車工場の期間工
ベルトコンベアーの流れ作業だろうと思う
自分だけペースを乱すわけにはいかない
必死で痛くても辛くても続けてしまったのだろう
工場内の診療所で腱鞘炎の診断
1週間は安静にと掃除程度の作業に回してくれていたらしいが
快方に向かわず工場外の病院へ受診
最低1週間の自宅安静と。
働けない→与える仕事がない→解雇(退職)
時間があっても手が動かずに絵も描けない
箸も持てず食事はカレーばかりだと。
この負の連鎖は 鬱へと続きはしないか
心配で心配で 地震どころではない
収入の事など言ってられない
生きててくれればって
原点に戻ってしまう

息子には
「戻ってくる事になっても、どうにかなるよ」と
言ってみたけれど
後遺症が残らなければ良い

頚腕症候群で障害者になった人を知っている
随分前だけど、手話通訳者として市の職員に採用された方だった
随分前・・・あれから40年近いんだ。

私の膝も良くならない
もうジムも休み、極力 負担を掛けない様
痛みの出ない様に過ごしているつもりだけれど
半月板損傷のロッキングが始まりそうな
怪しい感じがなかなか取れない

こんなんで
仕事辞めたいなんて言ってられない
今の職場・今の会社だから
どうにかこうにか13年も続けれているんだよね
手が痛い時は手を酷使しない仕事
足が痛い時は足を酷使しない仕事
声が出ない時は・・・
その時々で出来る事見つけてやってこられた

今はちゃんと食事を取って
眠る事にする
今出来る事は少ないから

スーパーのお酒売り場 なんか恨めしかった

今も「お酒飲みたい自分」が隠れているだけなんだ。

 

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