「私+あなた」=「アルコール依存症」

2017年1月6日 お酒に卒業宣言!の私+はてしないアルコール依存中の夫

全ての始まりは…この海のある港町から

私が生まれ育った北海道の港町
観光地でもない
工場のある港町

この海で恋をして
この海で涙を流して
この海で育った

実家へ独りで帰ると
必ずここへ来る
ちょっぴり苦い大人の初恋を思い出す

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夫と出会ったのもこの町
結婚をして長女が生まれ
長男が生まれ
狭いアパートで暮らしたのが懐かしい
転勤で函館へ移るまで
30年暮らした町

転勤で移り住んだ函館から
私達の人生のくるいが始まった

きれいな大きめのマンションを借りられた
夫は自分の部屋をもった

思いがけず、第三子の妊娠が判明
息子がまだ生まれて三カ月だった

夫の両親に猛反対をされた
生むことをあきらめるように言われ
双方の親同士の喧嘩にまで発展した

切迫早産
原因は不明だったけれど
それまでの妊娠が切迫早産
絶対安静にて過ごさなければならなかった
ふたりの子供を残し入院生活は難しい
反対されるには理由もあった

結果として
私の両親が全面的に助けるから
子供は産むと良いと言ってくれ
堕胎は避けられた

でも
私達夫婦の関係は崩れた
連日飲み歩く夫
酔いつぶれると迎えに走る日々
息子は6か月を過ぎた頃から
激しい夜泣きをはじめた
そして
とうとう7か月を迎えたお腹は
切迫早産の始まりをむかえる

実家の近くの病院へ
無理やりの転院
夫は子供達の顔を見るという名目で
毎週末、函館から車を走らせた

本当は
赴任前の勤務先の従業員と不倫をしていて
逢うのに好都合だっただけ

末娘に愛情を持たないのも
そんなこんな訳が有っての事

どうにかこうにか
五体満足な末娘を出産
長男は10か月だった

その後も長男の夜泣きは治まることなく
2歳半まで続いた

出産を終えて
函館での生活に戻ったものの
様子がおかしい
毎週、毎週
キャンプだ釣りだと家を空ける

もちろん夫婦の会話もおかしい
これは、女性だな と
感づくのが妻なら当たり前

しらを切る夫
「頭がおかしい!精神病院で診てもらえ!!」 

haru-natu-aki-fuyu.hatenadiary.jp

離婚覚悟で興信所を使った
結果はもちろん黒

そこでも
夫の両親に責められたのは私だった
男が浮気をするのは女が悪いと。

夫は離婚はしない
長女の名を出し
父親のいない子にはしたくないと
長女を溺愛していた

それなのに
彼女とも別れられないと…
彼女は彼女で
別れるなら死ぬと…

酔った夫を車に乗せ
死ぬと言いだした彼女の所へ
夜中に車を走らせた日もあった
北海道の道を車で4時間
壮絶すぎる

その後
函館から関東への転勤
夫はひとり自由になりたかったはずだが
家族でやり直せたならと付いて行った

物理的な距離が
彼女と夫を離してくれると思いたかった
でも
心は簡単には離れられなかった

離婚したい
しない
出ていくなら上の二人は置いて出ていけ
慰謝料も養育費も一切払う気はない

今のように
もっと離婚について
情報があったなら
当然の権利としての養育費・慰謝料
そして離婚出来ていたなら
皆がこんな風に
不完全にならずに済んだのかもしれない

私は夫の前で無力だった
言いたいことなど言える訳もなく
したい事が出来る訳もなく

実家に帰る道の途中に
彼女の住んでいたアパートがあった
24年たっても
その道を通ると胸がざわつく

 

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