「私+あなた」=「アルコール依存症」

2017年1月6日 お酒に卒業宣言!の私+はてしないアルコール依存中の夫

憑き物が落ちるとき・・・こんな風に突然?に??

憑き物が落ちた…そんな感じの息子です

今月に入り息子の回復は
めまぐるしいものがありましたが
まさか、ここまで

先週の金曜日
弁護士事務所へのアポを取り
息子と二人で向かいました

緊張するのは
私も一緒でしたが
担当して下さったのが若い女性の弁護士さんで
とても、しっかりされて居られるのに
なんとなく、ホッと出来る方で
その場で、ご依頼させていただきました。

札幌の弁護士会での無料相談の際も
とても良い方に巡り合えましたが
金銭的な負担の軽減の為
法テラスという
国の制度を利用する予定の為
ご依頼には至りませんでした

自分で全ての手続きをしようと
資料集めまでしてみましたが
裁判所の壁を超えることは出来ず
法テラス利用を進められました。

その法テラスの予約の専用ダイヤルが
なかなか繋がらなかったり
本人から以外受け付けないと
断られ、途方に暮れた日もありました
その頃の息子は
見知らぬ方に電話をするなんて
全く無理な状態でした…

毎晩、ブログの更新と並行して
夜な夜な
自己破産やら法テラスやら弁護士さんについて
ネットで調べる日々でした
そこで行き着いたのが
法テラスの契約弁護士さんに
直接、相談の予約をして
法テラスの法律扶助の利用をするという方法
札幌の法テラス契約弁護士さんを
おひとりづつ
HP等で調べ
どなたの所へ相談に伺えば良いものかと…
そんななか
おひとりの弁護士さんの所属されている
弁護士事務所さんが
ドラマ「HERO」を思い浮かべる様な
バラエティにとんだ弁護士さんが所属されてる
街中の弁護士事務所さん
そこで相談の予約を取りました

そして金曜日
よっぽどおかしな方でなければ
お願いするつもりで向かった訳ですが
とても、素敵な方で
出会えて良かった。

借りたお金を返せなくなった事には
それぞれの理由があります
もちろん簡単に
全ての人の借金がチャラになったりはしません
初めて借金をした日から
自己破産を選択するに至った流れを
記載しなければなりません
今回は弁護士さんに依頼したので
内容については息子が過去を振り返り
鉛筆書きで良いので記入してくださいとの事で

その記入に関して
先日取り寄せていた
銀行の取引明細が役立った?のですが
それは息子にとって拷問の様だった
様子です

専門学校卒業後
進みたい道があり
サラリーマンを選ばなかった息子
それは夢を追う中での選択だった訳ですが
親には頼らず自分の力でと気負い過ぎ
自転車操業?火の車?
ひと月先の給料を待つ余裕がないから
日雇いで日銭を稼ぐ
記帳された内容は
数千円の入金と出金の繰り返しの日々
少し落ち着いた生活が始まってからも
日雇い日払いが
週払いに変わっただけ。
保障と言えば親の会社の社会保険
でも、病院代もなく
歯はボロボロでも歯医者にも行けない
花粉症の時期が来ても
薬は頂き物だったそうです。

もちろん
日雇いです
仕事に就けない日もあれば
パニック障害を起こして
出勤出来なくなった日もある
そんな
毎日が追われたままの生活の中で
事故を起こし
心も壊していった

言葉を紡ぐ作業は
かなりかなりキツかったと思う
やっと書き終えて
レターパックに他の書類とともに詰めた

毎日毎日
残業をこなして出勤している娘
ちゃんと奨学金の返済もしている
世間の大多数が
借りたお金はちゃんと返している

当たり前のことが出来ない息子
彼の人生
事故の事も自己破産の事も
隠して生きていかなきゃいけない
それも
ひとつのペナルティかと。

心を開いて他人と付き合えない
その苦しみからは逃れられる事はない
執行猶予4年
本当はその4年間側に置きたい。
そうもいかないので
また巣立っていくのだろうけれど。

 

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心療内科の診察室にて・・・補足1

またまた、私の言葉が足りずに

皆様の頭の中を混乱させてしまっております

心療内科は医師が1人+薬剤師さん1人

受付さん2人で診療されています

精神福祉士さん的な方もおらず

看護師さんもおりません

聞こえた話では非常勤の看護師さんが

何曜日かの午前中にいるようで

血液検査等が必要な場合は

その時間に合わせて予約をするようです

と言う訳で

診察室もひとつ

受診時は医師と患者の2人で

パソコンのモニターすら診察室にはありません

 

初診で行きましたが投げ捨てるような 言い方で 結局伝えたことが 伝わらなかったような感覚しました。先生が合わなかったんだとおもいます。心療内科は 先生との相性だから
私は冷たく感じました。(あくまでも個人的な意見です。) 1か月前

 

最悪…行かなきゃ良かった(後悔)  3週間前

 

この2件の口コミは

どちらも若そうな患者さんかと思われます

息子が診察室でいじめにあった時期と完全に一致します

 

先生がとても話しやすい方です。
「この症状にはこういう理由で、この薬を出します」とちゃんと説明してくれますし、「この薬がほしい」とこちら側からいった場合でも、理由をきちんと言えば検討してくださいます。
 症状が強く出ていて、自分が支離滅裂なことを言ったり途中で泣き出したりしても、ちゃんと話を最後まで聞いてくださいました。

 待ち時間については日によってまちまちで、10分以内に呼ばれることもあれば1時間以上待つ場合もあります。ですが平均して15~20分くらいで呼んでくださり、長時間暇を持て余すことは稀です。

来院時期: 2015年12月 投稿時期: 2016年08月

古い口コミではこんな感じもあります
年配の方の扱いは慣れていられるけれど
自分勝手な若者は苦手としているのでしょうか
それもどうかと思いますが・・・
ここ2回は安定しているし
息子も安定してきているので
次回は1か月後、このまま続けるつもりでいます。

 

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心療内科の診察室にて・・・6月26日(月)

今日は息子の受診日だった。

f:id:haru-natu-aki-fuyu:20170626235438p:plain

札幌へ戻り
1度目の受診日・・・診察室へひとり入った息子
呼ばれもしないので、私は待合室で待った。
埼玉からの薬の手持ちもあり
薬を処方されることもなく終わる
ほとんど、話さないので
診察時の様子はわからなかった。

 

2度目の受診日
向かいの駐車場で待つ
これまでと同じ薬を処方してもらえると
勝手に思い込んでいたけれど
薬のスライドが始まるらしく
サインバルタ 朝2錠
ロラゼパム 朝夕1錠が
   ↓
サインバルタ 朝1錠
パキシル 朝1錠
ワイパックス 朝昼夕
に変わった

診療後
向かいの駐車場まで歩けないと
とても辛そうだった

その後
とにかく通院が苦痛だと言う
息子のうつ状態
典型的なうつとは少し違った部分も見られ
病院に電話を入れてみた
否定型うつと従来のうつでは
家族の接し方も変わってくる
(たくさん読んだ本で学んだつもり
病院での返答は
一切病状について話すことは出来ないので
次回から、診察室に同行してくださいとの事

 

3度目の受診日
診察室に一緒に入った
ただ、隣で聞いていた
驚いた。呆れた。

随分と「うつ病」の本を読んだ
新型うつ
非定型うつ

精神科医も賛否両論
異論を唱える医師も多い「新型うつ」
昔からの「うつ病」とは
ほんの少し違っている息子のうつ症状

今通院中の医師ははっきりと否定した
息子は うつ病ではない!と
うつ症状であってうつ病ではない
不安障害・パニック障害による
うつ症状なだけだと
埼玉の病院からも
うつ症状 としか書かれてはいないと

それは、少し違ってます
お手紙には
「大うつ病性障害」と書かれていましたから。
コピーが欲しいと言っても拒否

息子の診察時間は
息子の傷をえぐる様な言葉ばかり
きっときっと
新型うつ を
甘えた若者の 偽うつ病 だと
思っている派なんだろうな…

転院を考えたが
行けるところが見つからずに
4度目の受診日
通院をサボらせて
お薬だけを頂いてみたりもした。

 

5度目の受診日
もちろん診察室に同行した
前回までとは
全くと言って良いくらい
違う対応の医師
今思えば、こちらも腹をくくり
心を開いたのかもしれない 

???
今日の先生は
いたって良識ある普通の医師なんです

「どうですか、最近の様子は…」

 から始まりの

「ずいぶん、落ち着いてきてます
 起きている時間も増えてきてますし
 泣いてばかりは減りました」

「そうですか…泣いてばかりだったんですかぁ
 眠るのは身体が欲していて
 病気がそうさせているので
 規則正しい生活は理想ですが
 無理に起こさず、休ませてあげてください
 良くなっていくときは波が有りますが
 そんな状況の時も有りますから・・・」

派手にガタガタ震える息子の様子にも
今日は気付いている様子
前回は、ペンをカルテに走らせ
息子の様子を見ようともしていなかった

帰り道
「今日の先生は普通で、悪くはなかったね」
「どうしたんだろう?」
「これなら、少し通っても良いね・・・」

 

6回目の受診の今日
息子はなんとひとりで
病院に向かっていたそう
仕事を終え、一緒に病院へ行こうとライン
ひとりで
歩きはじめていた・・・との事
そして、診察室
またまた同行しました。
今日で診察室への同行も終わりにします
もう、息子の事も
医師の言動にも不安が無くなったので

これからも
受診は続く事でしょう
年単位、いいえこの先ずっとかも知れない

それはそれで
自分の持病、一部として付き合うしかありません

個性と言う言葉で片付けるのは、まだまだ無理ですが。

 

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貴女を産んだ理由・・・貴女に逢いたかったから・・・ただ、それだけ。

私の言葉が足りなくて
自分は望まれて生まれてきた子供じゃないと
そう思い込んでしまっている娘よ
最初に埋め込まれた言葉は
深い傷となり、貴女の心を閉ざさせてしまったのね

最初の妊娠(長女)も思いがけぬ妊娠だった
結婚の約束すらしてもいない
出会って間もない私と上司(夫)
まさか?と初めての妊娠に戸惑う私
もちろん、戸惑ったのは夫も同じ
忘れもしない
夫の第一声は「ゲロゲロ」
そして、沈黙
「どうしたい?」と聞かれ
「産みたい」と答えた

夫が長女に逢いたいと
長女を抱きたいと思っていたのは
それは真実だったと思う
父親になりたいとも思っていたはず

私と出会う5年前に
一度結婚をしていた
その時も妊娠発覚後の結婚だったらしいが
すぐに流産
そしてあっという間の離婚
夫にとって結婚は子供に出会う為
それ以外の何もない

切迫流産・切迫早産を乗り越えての出産
待ちに待った我が子
自分に似てるところがほとんどない
まるで私のコピーな長女なのに
溺愛した

その後の長男の妊娠は
計画的妊娠で産み分けも成功した
またまた
同じように切迫早産
絶対安静の入院生活
そこで、避妊手術をすべきだったのかも知れない

末娘の妊娠がわかったのは
息子を産んで間もなくの事
まさかの早すぎる妊娠
2度続いた絶対安静の切迫早産生活
産むのを反対されるのも当然の事

夫は…
夫も望んでいなかったのだろうと思う
でも
私は逢いたかった
私の所へ来てくれた子に逢いたかった。
顔が見たかった
抱きしめたかった

泣き虫だった娘
人見知りの激しい娘
愛おしかった

度重なる入院生活で
私の母親がすっかりお母さん役だった長女
正直、育てた実感が薄かった

私だけを頼りにする末娘への愛情は
他の子供達に対するものとは違っていた
いつもいつも
手を繋ぎ、片時も私の側から離れない子
愛情が深くなるのは当然だと思っていた

でも
娘の親離れはあっという間だった
3年保育で入園した幼稚園
後追いどころか
早く帰って(行って)と言われた
3つ後の魂
あの頃すでに自分のペースで
独立した人間だったのか…

 

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私を支えてくださっているブログ繋がりのkyoさんへ・・・長い長いお手紙です・・・

言葉の選び方が下手だったり
言葉が少なすぎたり、多すぎたり
この55年、随分と
自分と自分の周りを傷つけてきた

まず、kyoさん
コメントいただき
本当にありがとうございます。
娘の心の中を
私は正直つかみきれません。
そして、その時
kyoさんなら、娘の気持ちがわかるのでは?
miyanekoさんなら、わかるのでは?と
本当に…相談出来たならって
思っていました

今日も
考えることは娘の事で
自分だったなら…?
私は夫には
看病されたくはありません
それは、遠慮ではなく
正直、嫌なんです。
そして、子供達…と考えると
これも看病されたくはありません
でも、これは愛するが為です
迷惑をかけたくはない
邪魔をしたくはない

私は散骨希望者です
それは
子供達に負担をかけたくはないから
そして
ひとり誰も参る事のないお墓に入るのが
寂しいからです

6年程前に
2週間入院をしたことがあります
家族は誰一人見舞いにも来ませんでした
もちろん夫もです
入院・退院の送り迎えをしてくれたのは
息子でした。

5年程前に夫も
整形での手術の為に
入院したことがあります
私は毎日通いました。
新聞を届け、洗濯物を届け
日常会話をしていました。

お酒に依存し始め
愚痴が多くなってから
夫は、自分の入院中
子供たちが見舞いにも来なかった事が
非情だと、自分はどれだけ嫌われているのかと
何度も言う様になりました

私も同じ
いいえ それ以下だったのに。

だから
子供達にも愛されてはいないと
そう思う様になりました。

娘は
小さい頃からお金の管理もきっちりしていて
がめつい くらいな子でした
大学時代も困ったから助けてと
言ってきたこともありません
そういう子なのはもちろん承知しています。

息子に用立てた時は
娘にも同じように渡してきました

美容院へ行って可愛くしてね

就職が決まった日は
自分では思い切っても買えないバックを
プレゼントしたり
欲しいけど…手が出なかった
ありがとう。
その時は言ってくれたけれど
散らかった部屋に今は置き去りです

いつもいつも
自分は要らない子なんだろう…
差をつけられすぎて
損したことしかない…

今回も
ちゃんとやってきた自分が損をして
やってられない…と

今まで
曲がったことをせずに
夜勤のバイトに吹雪の中通ったり
ちゃんとちゃんとやってきた事
すごく、感謝もしてるし尊敬もしてる
そして、それは
これからの貴女の強い武器になるし
貴女の自信になる
そう、言っても
何の得にもならない
私は何もしてもらってないと。


私・息子に対して
凄く口の悪い娘です
強い態度を取りもします
ひどく病んでいるときの息子が
妹ちゃんが怖いから…
もう、この家にはいられないって泣き出し
父さんの所へ行く…と言いだしたことが
父さんにも事情があって
今は一緒に暮らすのは難しいよ…と言った日は
もう、行くところがない
死にたい・・・と。

娘の事
末っ子で育ったためなのかなぁと
普段は余り気にもとめず
受け流してきました

息子との生活
お金の工面
私も隠しようもなく
いっぱいいっぱいでした
頭も痛くはなりますよね。

「頭が痛い」と言った日
返ってきた言葉は「薬飲めば…」
私だって人間です
たまには労わられたい
そういう時に
「食器洗っておこうか」とか
「早く休んだら…」って
どうして言えないんだろうって話をしたら
「お母さんの、頭が痛いとか苦手なんだよね」
「まるで同情してくれ…みたいで、昔から嫌だった」
「・・・・」
本当に嫌われてるんだと
そうしか思えずに、愕然とした

私は持病が色々あるし
今も体中痛いところだらけで
決して丈夫ではないのだけれど

そんな風に思われていたんだ

家族会議の中で
何よりも私達が
このままじゃいけないと感じた事
それは、家の中での自分と
家の外での自分が全く別人だと言っている事
外ではこんなボソボソ話したりもしないしと。

外では明るく元気で人を笑わせる子
人を傷つけるような発言もしない
言葉を選んで、発言している訳ではなく
当たり前に、人に疎まれるような
言動は取らないと

それが
家の中では
「うっせぇ~」とか
「金がねぇえんだよ!」とか
「うざっ!」とか
機嫌が悪いと乱暴な言葉を短く言う訳で
息子が傷ついたりもした

もちろん
世間では内面外面が違う人は
たくさんいると思う
けど
なんか寂しすぎて
修復は無理だと思える父親以外の
兄・姉の前だけでも
せめて
裏表なく自分を出してほしい
楽しい時は楽しい顔
辛い時は辛い顔
不機嫌な時は不機嫌な顔
家の中では心を閉ざしていると
言われて
そうですか
それも仕方がないね・・・と
言えるわけがない

娘が大学卒業後
自宅に戻ってくれたおかげで
お酒の量・時間
コントロールが出来るようになり
今の断酒にも繋がった
娘が戻ってくれなければ
夫より私の依存症の進行のほうが
早かったと思っている
そして、すごくすごく感謝してる
今回の別居に関しても
背中を押してくれて
本当に感謝してる
けれど、そんな言葉も
娘には負担なだけらしい。

今回の息子の同居絡みで
娘にかかるであろう負担も
娘にかけてしまっている負担も
私には想定していたことで
折に触れ、ふたりの時間を作り話してきたけれど

それでも
「むかつく」
「なんで家に帰ってまでも、疲れなきゃならない」と
「早く、ひとりになりたい」
「それしか頭にない」と

私が嫌いで一緒にいるのが
うんざりだと言うなら止められないけれど
この異常な生活がずっと続く訳はなく
元気になったら出ていくのは息子で
私は、息子と二人で暮らす気など
微塵もない

伝えても伝わらない事も多い気がするし

私は寂しさより煩わしさを選ぶ
娘は自分の時間を邪魔されることが苦痛だと言う
娘の心の声がわからない

kyoさん
教えてください。

私は、娘との母子家庭生活が安らぎでした
ひとりが寂しいから
たまたま娘とではなく
他のだれかではなく娘が良かった
どんなにそれを伝えても
そういうのが、うんざりだと言われると
本当にどうしたらいいのかわからない。

話が滅茶苦茶ですが
娘は二人でいるときは
もう少し穏やかでした
だから、耐えられないのは
私の息子への接し方
息子の私への依存です

けれど、傷ついて疲れた人間に
傷口を開き塩を塗るような態度を取ることは
人として許せないんです
わからない訳ではないけれど
これは、若いからとかじゃなくて
あまりにもドライすぎると思ってしまうんです

 

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ブログ村からのお客様…繋がり・出会い・発見・気付き

家族会議の記録をと…思いつつも
気が重くもあり
手が進みません
娘の闇の深さに
正直、打ちのめされました


そうしてしまったのは
自分たち両親で毒親なんだと
気付いても気付かされても
過去の出来事を塗りかえることはできない

 

息子は
そんなままじゃだめだ
人としてどうかしてる
母さんがどれくらい傷つくかわからないのか…と
本当に力強く
私を守って支えてくれましたが…
それがまた
娘にとっては
過剰な関係の二人と映るのでしょうね。

 

この3か月
私は必死で息子を守った。
食べる事すらまともに出来ない
人と話すこと外へ出る事
元気な人間が当たり前に出来る事
元気だった時の息子が当たり前に出来ていた事
何も出来なくなっていた。


羽を痛めた鳥に
何故飛ばない?と言えるの?
身体を休め回復を待つ時間が必要だっただけ
今回の保護は
過保護でもなんでもない
人として親として当然のことをしただけ
傷が治ったら巣立つだけ
そう、巣立つんだよ


だから、出ていくのは娘よ…貴方じゃない
出ていくのは、元気になった息子なの


私の息子への態度が
過剰な甘やかし過保護で
見ていて不快以外の気持ちがないと


寂しいのかと思いきや
それが違うから大問題
自分は干渉されたくはない
この先、甲状腺の腫瘍が悪性だとして
闘病生活になったとして
その時が来ても、こんな風に干渉されたり
過保護にされるなら
病気になる事より、
その状況におかれる事が耐えられないと。


言葉をきちんと記憶できず
私のとらえた言葉で表現してしまっているけれど

 

息子が
母さんが優しく接してくれたから
自分はこんなに早く元気になれた
妹ちゃんの様にドライできつい態度を取られていたら
回復なんてできなかった
電話ひとつかけれない
道路一本渡れなかったんだ
だから、過保護は必要だったし
母さんは親として間違ってない

そう
言いきってくれたことは
本当に嬉しいことで
アル症のままじゃなくて良かったと
心から思えた。

ただただ娘の心の闇が…心配
長女も先日言っていた

私が…
息子だけじゃない
妹ちゃんがそんな風に病んでも
同じことするのになぁ~って話した時に
その時が来てもわからない子だよ…と

考えても結果は出ず
でも、このままじゃいけない
重い思いの課題です

 

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長い・・・長い・・・家族会議のお話は、明日ゆっくりと。

息子は見違えるように回復してる

今日は何度も何度も私が助けられた…

力強い言葉・態度

明日、弁護士さんとのお話がスムーズだと良いな

カタを付けて仕切り直し。

優しい男になったものだ。

後は強さを身に付けて行ってくれれば。

弱さを知る人間の方が

あとあと大きくなれるよ!

 

息子が、これからは

アル症夫の回復のために動くそうです。

家族がまた一緒に穏やかに暮らすことが

今の望みで自分の務めだと思っているようです

口先だけかもしれないけれど…

 

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