お酒に対して寛容な家に育った
幼い頃から
お正月とお祭りは
神棚にお供えしたお神酒に口をつける
そんな習慣の中で
自然とアルコールに触れてきた
幼い頃の記憶
祖父はアル中だった
遊びに来ては昼から酔いつぶれ
アチコチに粗相をしていた
60代で精神科病院へ入院し
それから10年近く
一度も顔を見る事もなく亡くなった
今思えば
アルコール依存もあり
精神科に入院となっていたのだと思う
父はお酒が好きではいるけれど
決して羽目を外すほどに
大酒を飲むことはない人
一日コップ一杯の日本酒か焼酎
皆が集まる席で
たくさん飲むと言っても
コップが2~3杯に増えるだけ
兄は
またまたお酒好き
ただし
普段から深酒をしたりはしない
こちらは、日本酒2合が決まりで
集まりがあるとここぞとばかりに大量に飲むけれど
決して自分を見失うことがない
おそらく、60年間
ブラックアウトの経験はないはず
呂律が回らくなることもない
きっと
相当にお酒に強いのだと思う
夫は
無類の酒好き
結婚前は夜の街にほぼほぼ給料を落とし
飲んだ酒代で家が1軒買えただろうと
結婚後は外飲みは減ったものの
飲むと言うより流し込んでる様な飲み方
30代は瓶ビールが2本+バーボン2/3本
それが連日連夜
ワインの日にはボトル2本
酒代だけで月に10万近いことも
痛風以来
ビールを減らし缶チューハイ系へ
1週間で45リットルのゴミ袋がいっぱいになる
どれだけ重い荷物運んできた事か…
トオルさんがブログに書かれていた
実際に依存していられる時間は大変短い。最終的には依存している最中でさえ「不足感」を感じるようになる。
アルコール依存症の場合(私)においても当初はアルコール摂取で満たされていた。
だが、加齢が主たる原因で摂取できるアルコール量(体の許容量)が低下してしまい「できる限りの大量飲酒」をしても全く満たされなくなった。
こうなってしまっては常に「不足」と「不安」から逃れることはできない。
そして自身に対しての不足・不安は、他人に対しては「怒り」として表現される。
まさに
別居中の夫そのものな気がする
トオルさんの奥様は
しっかりトオルさんを支え続けたけれど
私は…
夫といるとお酒に逃げ込むしかなくなる
夫から逃げお酒から逃げた
正直…
夫の事を思いやる余裕が今はない
子供達の事で
いっぱいいっぱい
本当は一緒に家族の再生をしていけると良いのに。
アル症夫は
いまだ、自分は大丈夫と
否認を続け、酒を飲み続けている
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